恩義なき 情けなき人多し 戦後びと

鈴木紀夫

日本人の心『恩義と情熱』

皆が持っている國を代表する気持ち

鈴木紀夫、1949年生まれ。
1972年12月、残留諜報員、小野田少尉救出の為、フィリピン・ルバング島に向かう。

無能な厚生省の役人どものお役所的投降勧告には応じなかった小野田であったが、彼は鈴木を信じた。

しかし、肝心なのは鈴木の提案した一芝居であった😎

たまたま、小野田の直属上官が生き残っていた。
谷口義美元少佐から、文語文による山下奉文陸軍大将の名による「尚武集団作戦命令」と、口達による「参謀部別班命令(下記)」で任務解除・帰国命令が下る。

*投降勧告では出れない! 直属上官の帰国命令で帰れる。

一 大命ニ依リ尚武集団ハスヘテノ作戦行動ヲ解除サル。

二 参謀部別班ハ尚武作命甲第2003号ニ依リ全任ヲ解除サル。

三 参謀部別班所属ノ各部隊及ヒ関係者ハ直ニ戦闘及ヒ工作ヲ停止シ
夫々最寄ノ上級指揮官ノ指揮下ニ入ルヘシ。

已ムヲ得サル場合ハ直接米軍又ハ比軍ト連絡ヲトリ其指示ニ従フヘシ。

— 第十四方面軍参謀部別班班長 谷口義美

*もちろん、29年前に日本軍は無くなっている。
山下奉文は戦犯により、死刑でいない。

完全なる芝居である😎

芝居が、現実を変える時もある😎
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鈴木紀夫は、その後、1978年、結婚。

夫婦で喫茶店を営みながらも、彼は旅を続ける。

1986年11月ヒマラヤで遭難。
1987年10月7日遺体発見。享年37

もちろん、小野田も慰霊のために65歳で、遺体発見の翌年、ヒマラヤを訪れている😎

恩義と情熱
皆が何故か持っている、國を代表する気持ち、日本人😎

*恩義なき 情けなき人多し 戦後びと

小野田少尉