儂はこう思う!
カタカムナと聞いて、アイヌ語のカムイ(神聖なもの)や白土三平のカムイ外伝を思い出した人も多いと思う。
今の天孫族が夷狄(いてき)として滅ぼしていったアイヌは、(鎌倉江戸と続く、武士トップの称号、征夷大将軍とは、元々、夷狄、アイヌを征服する大将軍の任を天孫族が武士に依頼したもの)
九州南部と北海道に分断されてしまうが、(今でもアイヌ、鹿児島、沖縄では同じDNAが出現)義経が逃げ込んだあの奥州「平泉」も元々は、黄金のアイヌの居城であった!😎今でも、埼玉県にもアイヌの地名が残る。我々はハーフだ!😎
ところで、武器の開発を怠った(というより、アイヌは武器の開発が余り好きじゃなかったみたいだね)アイヌは多く天孫族に滅ぼされたが、文化の水準は高く、攻撃的な天孫族も、武家社会からはアイヌの文化の平和の象徴的存在になり、むしろ、継承者になっていったと。
唯一のアイヌの失敗は北上する際に塩作りを止めた為、倭人に塩を抑えられたのが痛手となった(倭人はこの頃から塩の専売公社があったんだね。この商売上手😎)!
しかし、現在の温和しい日本の源流はアイヌにある。
*ところで、義経は奥州平泉では死なず、北海道に渡り、平取(ピラウトル)でアイヌ民族に農耕などを伝えた。
蝦夷探検をした江戸幕府の役人で、間宮林蔵、平山行蔵と共に“文政の三蔵”と呼ばれる著名な探検家、近藤重蔵がご神像を安置し、明治初期に義経神社が建てられました。写真は当時の貴重なアイヌ部族の写真!
後ろに控えているのが、近藤重蔵(か?)😎
http://ja.wikipedia.org/…/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%E7%A5%9E%E7%A4…