ダチョウ症候群の戦後日本政府

ダチョウ症候群

なぜ、私が敗戦、占領のことを言うかといえば、
この70年間、その問題に目を瞑って来たからです。

‬それは、まるで、生命の危機にダチョウが地面に頭を突っ込み、見て見ないふりをする(飛べない鳥)ダチョウ症候群と同じです。

‪目を瞑って、解決するならいいですが、
今の韓国のムチャぶりは、日本を「落ち武者」とみて、落武者狩りをしていたぶっているわけです。

韓国は、日本に植民地にされたというが、
日本は、ソウル、台湾に大阪、名古屋の前に帝国大学(明治大正昭和で全部で九つしか建てていません)を建てている。
‬そんな貴重で金のかかる帝国大学を六番目にソウルに建てています。
アジアの向上のために!

‪植民地に大学を作るバカはいません。

植民地の人民に教育を受けさせないのが、常道であるからです。
日本には、アジアの曙の夢があったのです。

どちらにしろ、1945年8月15日より、朝鮮は手のひらを返し、
三国人として、半勝者として、国内でも横暴の限りを尽くし、駅前を占拠し、日本人の土地を奪い、パチンコ屋を建てました。

それが、今でも全国の駅前にパチンコ屋がある原点であります。

その横暴に対抗して立ち上がったのが、少林寺拳法の創始者、宗道臣でありました。

数少ない、正義漢の人でした。

もうそろそろ、地面から、頭をあげよう!